@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00008282, author = {浜野, 潔}, issue = {3}, journal = {關西大學經済論集}, month = {Dec}, note = {近世後期の京都・西陣の花車町では、天保クライシス期と幕末の開港期の2度にわたって急激な人口減少を経験した。この減少の要因を分析すると、2つの時期の間には大きな違いが認められる。天保クライシス期の人口減少は死亡率の上昇が原因であると考えられる。「難渋人」を書上げた史料に複数の病人が記載されていること、また女性が戸主を占める比率が急上昇していることは、いずれも病気の流行によって死亡率が高まっていたことを示唆している。一方、幕末の開港後に観察される人口減少は、借屋層を中心とする転出が原因であった。これらの世帯の転出先には「親類」「主人方」など縁故者が多く見出されるが、生糸価格の騰貴、下請仕事の激減という経済危機に際して、親類や仕事上のネットワークが緊急避難の手段として利用されたことを示す事実といえよう。}, pages = {207--227}, title = {近世都市の経済危機と人口 : 京都西陣の事例から}, volume = {53}, year = {2003} }