@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00004313, author = {松浦, 章}, issue = {3}, journal = {關西大學文學論集}, month = {Dec}, note = {江戸幕府は,寛永十二年 (1635) に中国船の日本来航は長崎のみに限定し,翌寛永十三年には日本人の海外渡航も禁止したことで,海外への航路案内書に類するものはほとんど知られなくなる。しかし,日本人の海外渡航が禁止される前の元和年間(萬暦43- 泰昌元,1615-1623)に池田好運が『元和航海書』を著し,長崎から澳門への航路を説明している。長崎港から出帆して江戸時代の日本人が「天川 (Amakawa) 」と呼称した澳門に到着する航路案内を残している。しかし,その他の航路案内に関する書籍は稀である。そこで江戸時代の断片的記録から中国と日本との航路に関する記述に関して述べたい。長崎の西川如見『増補華夷通商考』,田邊茂啓『長崎志』,中国沿海商船の漂着記録などから江戸時代の日本と中国の航路を検証してみたい。}, pages = {55--69}, title = {清代帆船の江戸日本への航路 : 日本書に依拠して}, volume = {67}, year = {2017} }