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アイテム
ベトナム使節と朝鮮使節の中国での邂逅(6)―19世紀を中心として―
http://hdl.handle.net/10112/6268
http://hdl.handle.net/10112/6268f892843a-511b-4410-8be6-6157a323c14f
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 一般雑誌記事 / Article(1) | |||||
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公開日 | 2012-03-22 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | ベトナム使節と朝鮮使節の中国での邂逅(6)―19世紀を中心として― | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
その他のタイトル | ||||||
その他のタイトル | Chance Meeting of Vietnamese and Korean Tribute Missions in China(6) — 19th Century Cases — | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | article | |||||
著者 |
清水, 太郎
× 清水, 太郎 |
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概要 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 歴代中国王朝には、朝貢という名目で様々な周辺王朝・地域から使節が訪れている。特に漢字を公用文字としたベトナム、朝鮮半島の諸王朝は、中国への朝貢の回数も琉球王国を除くと他の王朝・地域と比較すると格段に多く、使節に参加した当事者による記録も群を抜いて多い。両使節間の交流は14世紀から19世紀にかけて行われていることがわかるが、両国と中国との関係は決して一義的なものではなく、外交関係も時代ととともに変化する。 また、ベトナム、朝鮮両使節が残した記録には、量、体裁も異なる。更に、両使節の交流は、その初期から18世紀にかけて、朝鮮側に記録が残る例が多く見られるが、18世紀からはベトナム側も記録を残すことが多く、19世紀に入ると朝鮮側よりもベトナム側の記録だけに記載される例が目立つようになる。本報告では、北京という両王朝の使節にとって異国で行われた 交流の変化や意義について、主に19世紀の例を中心に、これまで1例しかなかったとされるこの時期の両使節間の交流が複数存在することや記録の記載の変化などについて報告する。 |
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書誌情報 |
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』 p. 47-65, 発行日 2012-03-01 |
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ISBN | ||||||
識別子タイプ | ISBN | |||||
関連識別子 | 978-4-9906213-1-5 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ベトナム使節 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 朝鮮使節 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 唱和詩 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 文化交流 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 19世紀 | |||||
シリーズ | ||||||
関連名称 | Vol.6 |