@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00002261, author = {キム, サンヒョプ}, journal = {周縁の文化交渉学シリーズ3 『陵墓からみた東アジア諸国の位相―朝鮮王陵とその周縁』}, month = {Dec}, note = {朝鮮王陵の石室玄宮は,初期から造成が行われた。またそれまでの古制が研究・整 理され,世宗代には『五礼儀』が編纂された。その後,世祖の遺命により,玄宮は石 室でなく灰隔で造成されるようになった。  石室玄宮には単陵と双陵,合葬陵があるが,築造に使用される石材には違いがある。 単陵と双陵は,壙中に旁(傍)石と北隅石,蓋石,加置蓋石,門立石,門閾石,門扉石, 門倚石などが置かれる。石室の上部には蓋石が置かれ,蓋石の下面は,北隅石と両旁石, 門立石などと組み合うよう,加工されている。  合葬陵では単陵の部材に加え,仕切として隔石が設けられる。隔石は中央に窓穴が 両側に空けられ,石室中央に南北方向に置かれる。隔石と北隅石や,北隅石と両旁石は, 抜けたり倒れたりしないよう,接合部が加工されている。このように,単陵と双陵は 蓋石を中心に玄宮が造成され,『五礼儀』編纂時の合葬陵は,隔石を中心に東・西室を 分ける玄宮が造成された。  玄宮の下部には床面が設けられるが,この床面は,単陵と双陵の場合は雑石と土で 突き固められ,合葬陵では炭粉と三物(漆喰,細砂,黄土を混ぜたもの),銅網などを 用いて堅固に造成された。こうした方法は『世宗実録五礼儀』や『国朝続五礼儀』に 記載されており,古制の研究により生み出された石室玄宮の発展型と言えよう。  いっぽう世祖の光陵以降,王陵には石室が用いられなくなり,「灰隔」の玄宮が登場 する。灰隔とは朱子が著した『家礼』に登場し,朝鮮時代初期における儒教理念の浸 透とあいまって広く普及していった。  灰隔の玄宮は,まず壙を掘り,壙の下で炭末に火をつけて焼き,三物で床面を突き 固める。次に傍灰を設けるが,その方法は二つに大別される。こうした工法は石室玄 宮とは異なるが,概念は同じものと考えられ,旧禧陵の発掘調査によっても確認され ている。}, pages = {63--86}, title = {朝鮮王陵における玄宮の造成方法}, year = {2011} }