@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00002237, author = {西川, 和孝}, journal = {周縁の文化交渉学シリーズ1 『東アジアの茶飲文化と茶業』}, month = {Mar}, note = {メコン川東岸に位置する普洱茶の産地、雲南省西双版納傣族自治州猛臘県易武郷及 び漫臘郷一帯では、18世紀末以降漢人移民の経済活動が活発化するに伴い、周辺地域 への茶園の拡大が起こった。  このきっかけとなったのが、清朝政府が雍正年間に行なった直轄地化である。これ 以降、石屏漢人の入植が進んだ。そして、その一方で、茶山管理の責任を負わされた 倚邦土把総曹氏と易武土把総伍氏は貢茶献納の負担に苦しみ、当地で茶園を営む石屏 漢人移民の協力を必要とするようになったのである。そこで、両土司が出資する形で 漫撒に石屏会館が建設され、「漫撒新建石屏会館記」が立てられた。寄付者として両者 の名を刻んだ同碑文は、この地を訪れる石屏漢人に彼らの入植の正当性を示し、この地域への移住を促し、茶園開発を後押しする要因の一つとなった。}, pages = {147--162}, title = {18世紀末の雲南省普洱府漫撒における会館建立と茶園開発―石屏漢人移民の活動を中心として―}, year = {2011} }