@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:02000471, author = {松浦, 章 and Matsuura, Akira}, issue = {1-2}, journal = {關西大學文學論集}, month = {Sep}, note = {清代廣東の廣州に来航した英国の貿易船は、イギリス東インド会社から派遣された貿易船であった。そのなかで、乾隆二十年(一七五五)頃より、貿易港の廣州以北の浙江寧波などに来航して貿易を行うようになり、清朝は乾隆二十二年(一七五七)十一月に、英国船の浙江への来航を厳禁し、廣州港のみでの交易を行うこととした。この間にしばしば浙江寧波に来航したイギリス東インド会社の人物に中国名洪任、洪任輝ことジェームズ・フリント(James Flint)がいる。彼は寧波において廣州の行商を経ずして、中国国内の商人と直接に湖絲や茶葉などの交易を行ったのであった。その後、洪任輝は清朝官憲に拿捕され収監される。洪任輝が拿捕される以前に、交易を行っていた中国国内商人として徽商汪聖儀の存在が知られる。汪聖儀は清代安徽省徽州府の婺源縣生員であって、彼の子供である汪蘭秀も洪任輝に関係していたとされる。そこで本論は、イギリス東インド会社の洪任輝と交易した徽商汪聖儀がどのように関係していたかについて述べるものである。}, pages = {A1--A29}, title = {イギリス東インド会社の洪任輝と徽商汪聖儀}, volume = {73}, year = {2023} }