@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00001970, author = {Sugawara, Yoshino}, journal = {関西大学東西学術研究所紀要}, month = {Apr}, note = {本稿は、上海における映画受容を、都市と娯楽文化の近代化の総体的文脈の中に位置づけたうえで、(1)遊歩や観劇文化の近代化の文脈における映画受容と、(2)知的な文明、あるいは近代教育の工具としての映画受容の二つについて明らかにするものである。上海において、映画は観劇文化を代表とする伝統的娯楽文化と強い親和性を持ち、伝統的娯楽文化の近代化の過程においてその文脈の内に包摂されていった。数々の日記資料が明らかにするところによれば、映画鑑賞とは近代的娯楽の中核を成す遊歩という行為を構成する諸々の遊興行為の一要素であった。映画は遊歩に従属する行為であり、遊歩の過程で人々が目にする様々な都市の風景の一断片であった。遊歩に依拠した映画鑑賞態度は、1910年代には遊楽場という遊興施設を誕生させ、1920年代には国産映画の美学へ強い影響を及ぼすこととなった。他方、映画は娯楽文化とは全く異なる文脈においても受容された。西洋式の学校や公共施設、宗教団体の会所などで上映される映画や幻灯は、西洋(あるいは近代)がもたらす「啓蒙的」で「知的」なメディアとしても受容されていた。このような空間における映画上映は、「健全」なものとして市井の商業上映とは全く異なるヘテロトピア―映画の教育的ミリュー―を創造した。1920年代の国産映画が社会教化を強く志向したのは、このような映画受容に直接のルーツを求めることができるのである。}, pages = {1--28}, title = {The Flâneur in Shanghai: Moviegoing and Spectatorship in the Late Qing and Early Republican Era}, volume = {48}, year = {2015} }