@article{oai:kansai-u.repo.nii.ac.jp:00016075, author = {中島, 弘至}, journal = {関西大学高等教育研究}, month = {Mar}, note = {1947年の学校教育法の制定により、新制大学が誕生し学生は急増することになった。文部省は、新卒労働市場のこの混乱を回避すべく奮闘する。53年、大学団体と経済団体との間に、推薦開始日などを定めた就職協定を結ばせた。しかし実際のところ、大学側から企業側へのお願いであり、企業側は大学側に協力するというものであった。そしてまもなく好景気が到来すると、企業のルール違反が多発し、すっかり就職協定は守られなくなる。また61年には、経済団体が協定の当事者としての役割を放棄、就職ルールは野放し状態になるのである。その後、遵守されない就職協定(97年以降は就活ルール)は常に批判にさらされたが、約65年を経た現在も存在している。本稿では、戦後の混乱期に戻ることで、あまり知られることのない就職協定制定までの過程を辿る。そのことで、上記の内容も含めた就職協定の実像をより明らかにしたい。}, pages = {87--96}, title = {就職協定制定までの過程 : 新卒労働市場はどう形づくられたか}, volume = {11}, year = {2020} }